◆何のはばかりもなく見せた大粒の涙◆
「お父さん、見ててね」。里谷はウエアの右ポケットに大切にしまった、父との思い出の品を入れた“お守り”に語りかけ、勢いよくスタートした。悔いの残る滑りはしたくない。スキーを教えてくれたお父さんのためにも――
4歳からスキーの手ほどきを受けた最愛の父、昌昭さんが54歳で亡くなった7か月後、長野五輪で金メダルを取った。しかし、直後から「競技をやめたい」と感じ始めた。燃え尽きて、モーグルへの意欲をなくしていた。周囲から現役続行を説得され、とりあえず“休み”をもらった。
しばらく練習に顔を見せなかった。「友だちと海に行ってきたんです。これまで行ったことがなかったから……」。小学6年生で全日本選手権を制して以来、トップに君臨し続けた。「ひょうひょうとした姿からは想像もできない心の張りがあった」とコーチの1人は振り返る。押しつぶされそうになった情熱は、友との遊びでリセットされた。「次の五輪まで頑張ります」。
ゲレンデには戻ったものの、天才肌と言われるだけに浮沈の波が激しかった。昨季の世界選手権では、10位。高難度の技に挑戦しているのに、審判の採点は、難度の低い技の選手の方が高かった。「日本に帰りたい」と泣いたが、翌週には同じ顔ぶれで争われたワールドカップで2位に食い込んだ。
失敗のリスクが高くても、審判の評価が低くても、里谷は大技への挑戦をやめなかった。「本来、モーグルは楽しい競技。簡単な技の方がいい点が出るかもしれないけど、それじゃ見ていてつまらない競技になっちゃう」。亡き父が厳しく教えてくれた「スキーの楽しさ」は、点数稼ぎの犠牲にできるものではなかった。
決勝。里谷はスタートから飛ばした。スキーを横に振らない。直線的に突っ込む攻撃的な滑りだ。2つのエアの高さも十分。ゴール直後は硬い表情でボードを見ていたが、点数を見てホッとした表情を見せた。「滑りは自信あったけど、点が出るか不安だった――」
4年前は「亡くなった父が取らせてくれた金メダル」と涙を流した。
ソルトレークでは、笑顔を振りまく1位、2位の選手の隣で、何のはばかりもなく、また大粒の涙を流した。「お父さん、今度は自分の力で銅メダルを取ったよ」と。(2月10日19:18)